考えろ、考えろってどうしたらいいの? 意外と知らない「考える」技術7

知識、常識と事実。
ちきりんさんの「自分の頭で考えてみよう」の序章では、野球の事例を使って事実と知識の違いをわかりやすく記述されています。
考える上で、知識、常識、事実をどのように扱えばいいでしょうか?今回は私なりの考えを述べたいと思います。

大事なことは、常識は除外することだと私は思っています。常識は過去における慣習から生まれてくるものです。将来においても続くかどうかは定かではありません。また、常識は拡大する傾向があり、事実と異なっても鵜呑みされた状態で流布されることもよくある話です。ちきりんさんが紹介した内容もどちらかというと知識というより常識と判断してもよいものといえます。
一方、知識は除外してはいけないと思います。知識には使い道があります。

まず大切なものは事実です。ビジネスにおける調査でいえば、一次情報です。考える範囲はまず一次情報を大切にすることです。「経営学を「使える武器」にする」では、高山信彦氏は常識を否定し、一次情報であるVOC(Voice of Customer)を最重要視せよと述べています。
一例として、高山氏が研修内容として紹介している常石造船グループの常石鉄工が船尾品という舵やスクリュー、クランク軸といったコンポーネント常石造船のために下請けで作っていたものを外販する戦略を立てたとき、中国を市場として対象に加えるかどうかで「中国製品は安い」という常識的な話を研修の受講者が話したとき、一喝した話が紹介されています。
「安い安いって言うが、どれくらい安いのか?それは誰に聞いたのか?どうやって調べたのか?」(106p)
先入観は一歩足を踏み出すこともできず、未来を生まない、と。結局調べた結果、日本よりも高いことがわかったというオチがつき、研修を受けていた常石造船グループの新しい事業として育ちつつあるという事例でした。

知識の使い道
さて、知識には使い道があると申し上げました。知識はどこに使うのでしょうか?
私は、知識は事実を解釈するときに使われるべき、と考えます。集めた事実を自分のものさし(知識)を使って新しい解釈を導き出す、そのことが大切です。高山さんはポーターの「競争の戦略」を筆頭とした経営学の古典を勉強し、理解することを研修で強く求めています。これこそ、知識をものさしとして使おうということの現われであり、大切なことだと思います。

知識はないよりある方がいい。但し、使い道を良く考えて使うことです。間違ったものさしの使い方はとんでもない結果につながり、返って悪影響になることもあります。知識の本質を見極め、正しくものさしとして使うことで知恵は生まれます。経営学の本もたくさんの紹介本やハウツー本が出ていますが、これはと思う本は是非原典を読んで欲しいと思います。そこには、どのような事例で結論を導き出したかが書かれています。その条件がそのまま今自分が書かれている事例とあてはまるのかどうかを考えるだけでも、原典を読む価値は生まれます。どのような経営学のスキルもすべての事例で適用できるわけではりませんが、一方で全く古臭くてどの事例にも当てはまらないということもありません。その本質は、未だに役立つ場面があると思います。

でも、言うは易く、行うは難し。学んだことをいろいろな場面でトライアンドエラーを繰り返しながら身に付けていくことが大切です。

高山さんの会社紹介サイトです。興味のある方は訪ねてみてください。
http://enact.main.jp/

経営学を「使える武器」にする

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