会計と経済性工学を勉強しよう その3

財務諸表と株式会社の成り立ちについてお話したいと思います。
前々回でも記載したとおり、貿易会社が株式会社の始まりです。一方会計の基本は複式簿記であり、イタリアではじまったと言われています。15世紀にイタリアのパチオリが体系的に整理したのがはじまりと言われ、パチオリは複式簿記の父と呼ばれています。ただパチオリはその当時のベネチアのルールを整理して体系化したわけで、実際の歴史はさらに古く、ローマ時代にまで遡ると言われています。

さて財務諸表は左側を借方(Debit)、右側を貸方(Credit)と呼ばれますが、この言葉の通り、左側はお金を借りた立場からお金がどのように使われているかを表示するものであり、右側はお金の出し手の立場から誰がどのような形で出したかを示したものです。このようなことから、借方を運用、貸方を調達と呼ぶ場合もあります。

例えば、前回の例のようにAという商人から新大陸で売るための商品50万ポンドを掛けで買った場合、
商品 50万ポンド 買掛金 50万ポンド
と仕訳され、商人Aも資金の提供者として帳簿(財務諸表)に記載されます。
もし現金で買った場合は、
商品 50万ポンド 現金 50万ポンド
と仕訳されますが、これはそれ以前に出資してもらった人の現金が商品に変わって、現金が減ったという意味になります。

複式簿記の歴史に少し戻りますと、複式簿記が発達してきたのはイタリアの都市国家で、十字軍遠征の影響により発達したと言われています。
十字軍の遠征は膨大な資金や物資が必要となり、それを支えたのがフィレンツェ、ミラノ、ベネチアといったイタリアの都市国家でした。取引量や複雑化する取引内容に対応する形で、現代のものとほぼ同じ機能を持つ「複式簿記」が発達してきました。
借方サイドはお金の変化を記録することに重きを置かれ、貸方サイドはお金をどのような形で出資したかということで記録されていくようになります。

さて、商売の過程で変化するお金は、もとはといえば出資者のお金です。取引で得られる利益も出資者のものです。そこで事業を始めるときに、出資者の元手を表す勘定(Account)を作ることにしました。これが資本金勘定です。商売を終えた損益はこの資本金勘定に計上されます。
一方、借方は財産の状態とその変化を記録します。船を買えば、今で言うと固定資産として計上し、商品を買えば流動資産として計上されます。全ては現金の価値として記録され、事業が終わって全てを清算すると現金に戻り、その価値は資本金+損益と一致するはずです。このように財務諸表はお金を運用と調達という二つの側面に分けて記録しているのです。

さらに、この複式簿記は会社組織になってさらに発展していきます。
欧州の大航海時代、多くの国々が東方の香辛料を目指して欧州の国々が争って貿易会社を作りました。そのような状況の中、スペインから独立したオランダも、東方貿易に乗り出していきます。国家としては弱小だったこの国にとって、まだ開拓段階にあった東方貿易は大きなチャンスでした。そこでまず、他国との競争に打ち勝つべく、複数あった貿易会社を統合してひとつにまとめました。そして、その会社に軍事、植民地経営、貿易などで大きな特権を与えました。その会社が歴史に名を残すオランダ東インド会社です。
その頃、どの国の貿易会社でも、貿易航海をおこなうたびに資金や人員を集めてきました。そして、会社を大きくして競争力を高めていきました。とはいえ、それでは出資者には何のメリットもありません。そこで、出資者に対しては、元手を返す代わりに、事業をして得た利益を定期的に分配しました。更に、自由に売り買いができる出資の証明書(株式のようなもの)を発行して、会社からの払い戻し以外の方法で出資金を取り戻せるようにしました。

オランダ東インド会社の成功を見て、さらに発展させたのがイギリスの東インド会社です。イギリスもこの仕組みをいち早く取り入れ、イギリスの方で株式会社の仕組みは発達していきました。オランダが国王や貴族といった限定的な出資者であったのに対し、イギリスは17世紀半ばの清教徒革命を経て市民が力をつけ、多くの出資者が参加するようになりました。その結果、株主たちの意見を経営に反映させる株主総会が採用され、株主への配当は利益からおこなうことなど、今の株式会社の骨格となるような決りが定まっていきました。そのようなしくみが整えられるようになり、会計システムも作り上げられていったのです。

簿記の歴史は下記のHPを参考にさせていただきました。
会計を本格的に勉強される方は是非お勧めです。
http://www.minac.net/accouting101/index.php