考えろ、考えろってどうしたらいいの? 意外と知らない「考える」技術2

考えることは何につながるのでしょうか?
企業の場合、考えること=問題解決 という図式になると思います。
問題解決のために考えるわけですから、問題解決のための解決策を生み出さないとこの行為は完了したとはいえません。
前回申し上げたように、分析というのは問題解決の解決策を生み出すための重要な情報整理、情報提供に当たり、最終的にこの分析結果をもとに、解決案を生み出すことによってはじめて、考える行為が完結すると言えるのではないでしょうか?

MBAでの問題解決の勉強
ところで、MBAではケーススタディという手法をとって問題解決の勉強をします。分析方法の理解が重要なキーのひとつですが、私が勉強した学校は一日のケーススタディの量が半端ではなく、腰を落ち着けてきめ細かく勉強できるほどの時間的な余裕はありませんでした。

同級生の勉強スタイルもさまざまで、ひとつのケースに重点をおいて勉強する人、とにかく寝る時間を削って本当に細かいところまで分析を行う人、授業で自分が発言するポイントを絞ってその周辺を深く分析する人などなど。私自身は常に消化不良のまま、途中で分析を諦めてその範囲でとにかく何らかの結論を出すということのみを意識していました。今から振り返るとある意味正しい選択をした勉強ではなかったかと思っています。

情報は常に不足している
現実の仕事の問題でもすべての角度から問題を押さえて情報も集まって意思決定できるわけではありません。逆に不足しているピース(情報)の方が多く、自分でピースを想定しながら全体像を想像し、そこから解決案を導くというのが一般的だと思います。逆にそのような思考方式をとっているとどうしても欲しいピースが浮かび上がり、そのピースが今自分が想定しているピースと現実は一致するのかどうか知りたくなります。その点のみを時間の許す限り確認し、意思決定していくという繰り返しで仕事を回しています。

自分たちにとって未知なことを意思決定することになればなるほど、ピースの不足量は半端ではありません。そのとき考える範囲を明確にし、うまっているピースから導かれた条件と想定したピースで仮定をおいた条件をはっきりさせておくことが正しい解決案につながっていくと信じています。方程式の例になぞれば想定したピースは定数として処理します。特に、この欠けているピースが重要であればその定数が本当に正しいのかどうかやはり意思決定後も時間をかけて確認する必要があります。


ひとつ具体例をあげてみましょう。
日本で好評なスナックをある国ではじめて販売することを計画することになったとしましょう。このスナックは特に若者に人気で、この国にはAという都市とBという都市に大学が集中していたとします。いずれかの都市で先行販売することになり、あなたはその販売先を決定する立場にいたとします。
まずあなたならどのような情報を集め、意思決定をしますか?

若者に人気ということであればやはり年齢別の人口構成や性別と言ったことがひとつのキーになるでしょう。家族構成も大切かもしれません。誰が普段買い物に行って、食べ物を購入しているのかということも大切ですね。是非、どんなことが考えられるか、可能な限りリストアップしてみてください。




ところで、日本にいて見落としがちなのは宗教の要素です。宗教ではタブーな食べ物があります。仮にこのスナックに動物性の脂が使われていてある宗教ではタブーだったとしたらどのように考えますか?この宗教の構成比というのは非常に重要になりますね。
この宗教に所属する若者がAで20%、Bで30%という結果がわかれば皆さんはどちらを選びますか?単純にこの情報だけならAの方を選ぶと思います。

しかし、このスナックが仲間で集まってよく食べるものだったとすれば?さらに重要なのはその宗教を信じている人と宗教外の人が仲間同士でよく集まるのかどうかというのが実は重要なファクターになるかもしれません。現時点ではそこまでの情報がなければ、AとBの都市で宗教的な人的交流には差がないという想定をおいて、他に決定的な差異がなければAの都市での展開を決定することになりますが、やはりこの点は避けて通れない話ですので、宗教間同士での仲間としての混じり合いがどの程度あるのか、大学の形態はどのようになっているのか(例えば、宗教別になっていないか、同じ大学でも食堂は別々になっていないか、など)、都市間で意識に差がないかといったことは調査して確認をし、進めるべきでしょう。もし結果が違えば、方程式の定数が違うわけですから、正しい定数に置き換えてもう一度考え直すことになります。


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あまりにブログが殺風景なので気に入ったペンギンのイラストをときどき貼ることにしました!